アートプロジェクトはどこに行く5/寺井→中島

中島くん

おつかれさまです、寺井です。
下記メール、ありがとう。この前は勉強会もありがとう。

でもこれがアートなのか、というと、果たして微妙なところかもしれません。仮にラジオ局をアート作品だと言い切ると、ラジオという”メインストリーム”に対して、このようなエピソードは”サイドストーリー”と言えると思います。今はこのエピソードを、PCに向かって文字で皆さんに伝えていますが、かつては、このようなエピソード(伝説や物語)は、口承で伝わってきたものだと思います。それが文字となり、絵となり、彫刻となり、音楽になり、絵本になり、伝わってきた。そのことってすごく大事な気がします。僕らがみるアート作品は常に過去のもの。

つまり、寺井さんの挙げた<インパクト><メッセージ><クリエイティビティ><可視化><ストーリー><プロセス><アート文脈>に加えて、

<伝承性>

って重要なんじゃないかと思います。

アートは、”今、ここ、ではない、遠くのだれか”とコミュニケーションするためのメディアなんだと思います。

伝承性というのは、確かにそうかもしれない。けっこう多くのところで、こういう意見を目にする気もする。
それで中島くんとこうやってアートが云々なんて語るときに重要だと思うのが、上記の「サイドストーリー」。そもそもこのサイドストーリーがここまで重要になってくるのって、アートの世界であまり一般的でもなかった気がするんだよ。今でいう地域アートプロジェクトの特殊性と言うか、ワンセットのものと言うか。

昨日、いわゆる地域アートプロジェクトとして、松戸とすごく近いんだろうな、と思っていた北本に行ってきたよ。おもしろ不動産

それでね、まあ感想として、、正直、僕にとっては面白くはなかったの。(※本当に関係者の方ごめんなさい)もちろん面白いところもあるけど、それはもともと知ってるよってことが多くて。(たぶんこれは松戸をやっていたからだろうな、と思う)。それで何が面白く無いかって言うと、中途半端なサイドストーリーの束がそこらへんに散らかされててて、それを面白いでしょって言われて、食傷気味みたいな感じだったの。

僕はあんまりアートのこととか分からない自覚があるけど、絵とかインスタレーション 見るのは嫌いじゃないんだよ。けっこう、一つの作品をジーッと見ちゃったりする。(ってか、インスタレーションって言葉の扱い適当すぎじゃない?だいたい模型やオブジェのことぐらいしか意味してないよ実際は!)
それで思い出したんだけど、森美術館で昔やってた これ を見たときにね、新宿の上にメタボリズム全開の空中都市を作るって磯崎新のデッサンがあって、、それ、ズーーーッと眺めてても飽きなくて、よかったんだよ。なんていうか想像力の炸裂という、別に誰だってそういうことがあって美術館に行くのとか好きなんだろうと思うの。


↑実際はこういうのじゃなくてデッサンだったと思う、これより良かったな

そう思うとさ、地域アートプロジェクトって、駅まわりの空洞化した空きビルフロアとかに、そういった美術館にでもありそうなアート作品をゴロゴロ展示させておくだけで、なんでダメなの?とも思ったわけ。北本の駅前でやるなら、そのほうが僕は面白かったよって。でもなぜそうしないかって、それは美術館でやっとけばいいじゃん、わざわざ街なかで、アートなんて知らないよっておっちゃんおばちゃんの真っ只中でアートなんていう理由が欲しいから、そうしないんだと思うんだよ。

僕がおもったことは、そんな美術館やホワイトキューブと頑張って対抗する必要なんてあんまりなくて、街なかの空きテナントなんかにイイ作品があれば良いよ、って言っちゃってもいいんじゃないかなってことが1つ。それから重要なのが2つ目で、美術館にできないことを地域アートプロジェクトがするんだとしたら、サイドストーリーを「サイド」って言ってる時点でズレてるんじゃないかと思ったんだよ。

北本はサイドストーリーばっかりだったよ。それをチラチラ見せつつ、メインストーリーっぽいものを見せようとしていた気がする。こんなこと言ったら怒られるかもだけど、中島くんの作品もそうじゃない?でも、それを逆転させるべきなんじゃないのかな?サイドストーリーがメインでいいんだと思う。そのいままでの「サイドストーリー」をどこまで作り込むかで勝負するしかないんじゃないかなあ?

かつての宗教絵画も、神父や宣教師から一般市民に伝わり、市民はその感動や知識を、家族や友人に話す。このような口承としての伝わり方を含むプロセスが、アートなんじゃないかと感じます。

感動は芸術にとって重要なことだし、感動は、ドキュメントブックやウェブカタログで伝わるものではなく、人づてに伝わっていくものですよね。芸術作品は、時空を超えて、過去を生きた人々の思いを、今の私たちに伝えてくれる。

たぶんサイドストーリーをメイン化することで、アートの要素を満たすのはすごく大変だと思う。でも、誰かから何かもらいました…とか、その程度の情報をサイドストーリーとして散らかして終わるんだったら、存在価値ないと思うんだよ。その誰かが何者で、いつ、どういう理由でそれをもらって、そのせいでどうなって、その人はいまどういうことを思っていて、その人はどこに居て、誰と仲が良くて何を普段してて、そんなことを知りたいんだよ。伝承性ってのは、人の記憶力にお任せってことじゃないと思う。練って練って、できあがるものだという気がするんだ。

松戸アートラインプロジェクトのような地域アートプロジェクトにおいて、作品を未来にどう残すのかっていうのは、役割的に難しい。どこからどのくらいの集客を目指すのか、っていうところとも関わってくる気がするけど、それは、どのように人づてに伝承される物語/噂を作り上げるのか、というところを考えてみたら面白い気がします。

今思ったのは、その<伝承性>と、町づくりって接点持てるんじゃないでしょうか?

いまよく話題に出る人で、 山崎亮さん がいるじゃない?コミュニティデザインの人。山崎さんのやっていることと、中島くんのやっていることって、内容だけ見たらすごく似てると思うんだよ。目的と見せ方は違うけど。伝承性ってことだと思うけど、以前に中島くんが「僕がいなくなっても続く、街の地元の人のサークルができたらいい」そんなこと言ってたよね。それは確かに伝承性だし、サイドストーリーのある種の昇華でもある。だとして、それは一体どう作品として成り立つんだろう?山崎さんと、どう違うんだろう?

そして中島くんはたぶん、いわゆるアート作品としての展示のフォーマットから作らないといけないんだろうな。

なんかそんなことを、思ったよ。

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寺井元一/teraiman について

株式会社まちづクリエイティブ代表取締役。 NPO法人KOMPOSITION代表理事。 1977年、兵庫県生まれ。2001年、早稲田大学政経学部卒業のあと、同大学大学院に進学(のち中退)。2002年にNPO法人KOMPOSITIONを設立。 渋谷を拠点に若いアーティストやアスリートのため、活動の場や機会を提供する活動を始める。横浜・桜木町の壁画プロジェクト「桜木町 ON THE WALL」や、渋谷・代々木公園でのストリートボール大会「ALLDAY」などのイベントを企画運営してきた。 2010年、株式会社まちづクリエイティブを設立し、クリエイター層の誘致により松戸駅前エリアの活性化を目指す「MAD Cityプロジェクト」を開始。 多目的スペース「MAD City Gallery」開設、「松戸アートラインプロジェクト」の運営にも携わる。

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