「新しい公共」をめぐる不毛と希望2/西本→寺井

寺井さん

こんにちは。新年早々(こんなこと)に。

ところで、今、橋龍こと、橋本龍太郎元首相の更新されなくなったHPの 2000年12月、経団連ホールでの「中央省庁等改革に関するセミナーにおける橋本大臣ご挨拶(要旨)」(首相退任後の第2次森内閣時の規制改革担当大臣 時)を読んでいました。

私らはさ改革っていうと、小泉さんの記憶が強い。私もお世話になったけれど、総合規制改革会議、正確にはその後の規制改革会議のおかげで、例の広告事業とか進んだじゃない?、ええまだ課題だらけですが。(あれは国交省の道路法の規制緩和の内容自体がというよりは、国交省からの通達(通知)が都道府県、市町村、関係団体に降りていく過程でのドラマ(都市系、道路管理、商店街系、地元警察とかの関係)から縦割と中央地方関係なんかを学ぶことが多かったんだけど、長くなるしあまりにマニアックだからまた今度)そんな私のちっこい実体験からもね、内閣主導で勢いがある審議会ってすごいオリャーっていうエネルギーと緊張感があってすごいわって少し思った。

ただ、急にあれ?小泉さんは確かに凄かったけど、その前で「改革」と言って思い浮かぶのは誰かなと思ったときに、わぉ橋龍だわと思ってね、今回HPを見たのでございますよ。いやーでも、たのしいねー!私、こういうの調べてるときが一番好きだわ。イヒヒってかんじ。

さて、「新しい公共」の話に入る前に、(全く関係ないけど)橋龍と私のこと言わせてくれ。

実は、私、あのテカテカしてて、意地悪で、偏屈な橋龍が好きでしたわ。なのに、彼は政界を引退されて、翌年に亡くなっ た。わたしは、剣道を愛していましたの で、剣道がめちゃんこ強い彼のことを勝手に近しく感じていました。いつか対戦するんだと思ってました。早速、脱線しますが剣道はいいんですよ。竹刀を振り 下ろすというか、肩でふるというより、手首でカクンと刀を人の頭や手におろすんですが、その前に、かならず眼を一瞬見てから、「嗚呼、さようなら、これで あなたとはお別れです」って思って、振り下ろすんですよ。そのときね、寂しいんですわ、「1本」って審判が旗をパッてあげてて、きれいな勝ちなんですわ。 でもね、寂しいんですよ、嗚呼、殺ってしまった、嗚呼、お別れだったって。相手の眼が忘れられないんですわ。橋龍とはそんな思いを勝手に共有したような気 持ちでいました。

だから、えらいショックだった。亡くなったとき、早すぎる早すぎると思ったのを今でも覚えてる。

って、脱線も脱線だったので、「新しい公共」にちゃんと話を戻すと、今回の対談はあれですね、あまり「新しい公共」関係者がオープンに言わないことだと思う。みんな知ってても、言わないことだね。こんなん話したって得しないと思うから。

でも、寺井さんがなんだか新年早々、こんなタイトルでの対話をしようって、公開でしようって言ってて、なんか新年行事っぽくっていいなぁって思ったので乗るね。私らはこんなやり取りを実は、去年1年間、ずっとメールでやっていました。気づいたらどっちかが返信して、返信なくてごめんとかいうのは記憶レベルではあんまりなくて、絶えずこんなことをやり取りしてたね。よく飽きなかったと思います。

さて2009年秋に発足した鳩山政権以降、「新しい公共円卓会議」 (内閣総理大臣決定、内閣府の長として)とかが出来て急にこの話題が盛り上がった。ソーシャルベンチャーとかNPOが国によってはじめて本格的に取り上げられて、政策の目玉みたいになったといわれていたと思う。私の記憶では、なんか事務局サイドでは駒ちゃんがなんかやってて、あれ久美ちゃんもやってて、委員にはいのいのもいて、郁容さんもいて、おーSFCな人たちが国でえらいことになってるとかいう感じだったかな。かつてワイワイしてた知人が首相と写真撮ってるみたいな感じだった。ただ、びっくりはした。そんなことはじめてだったから。何が「新しい」のか知らんけど、すごいや〜って思ってたよ。正直。

「新しい公共」とは、私の理解が正しければ、政府の失敗と市場の失敗を市民、NPO、公益法人という社会起業で解決する時代がくる、これは新しい担い手の到来であり、新しい価値社会がやってくるってなことだった?と思う。で、この「新しい公共」の流れや勢いは現在、野田さんになってどうなっているのかはわからないけれど、霞ヶ関ではあまりその話は聞かなくなったのかな。一応、円卓会議で政府の一定の対応方針が示されたので、あの寄付税制優遇の結実を持って、波は少しおさまった気配なのかな。そんなとこだね。

ところで、この運動の閉じられ方のこととか、冒頭、橋龍改革を調べてたりして遅まきながら感じたのは、「新しい」という言葉はよくないね。一瞬のキャッチーさや新鮮さがあるけど、その背後にある連綿たるコトを断片化、分断化しちゃう。「ちっとも、新しくねー」って「ワッツニュー?」に答えられなくて、盛り上がりを消して、また次の新しくない「新しい」を呼ぶことになる。

そういえば、美輪明宏も言ってた。「もうしみったれた「新しい」はよしてくださいよ。」って。演劇界がいっつも「新しい」ばっかりいって、ちっとも新しくないって。「各々、すばらしいと正直に感じたことをただやればいいのです。やり続ければいいのです。」っておっしゃってたけど、確かにそうだよね。ただ、何を隠そう、恥ずかしいけれど、かくいう私も、政権交代が起きたとき、マニフェストも読んだし、事業仕分けは燃えたし、国家戦略室もへえとか、ほおとか思ってました。なんか浮き足だってたと思う。ミーハー的に。

さて、最後に、今回、それらを全く「新しく」はありませんね、と彼岸の世界より此岸な私に気づかせてくださった橋龍のこと。以下、簡単にかきます。

橋龍はうちらが生まれた頃らへんにあった行革「土光臨調」(や、その前の第一次臨調 の内容)を再復活させて、まともに民活、規制緩和、行革をやらないと日本は腐って、死んでしまうっていって頑張った。

今の霞ヶ関(省庁再編)の形をつくって、内閣の首相のスタッフの機能強化とかをがんばった。地方分権(最初の流れは55年体制崩 壊の細川政権の時)、行革とか構造改革とかいうと、小泉みたいなイメージだけど、中曽根、橋龍、とか、小泉以前にも自民時代にもやった人は当然、いた。

だけれど、黄金時代の中曽根でなく、自民党がまさかの下野、55年体制崩壊だ、みたいなミラクルを味わって、政治勢力が拮抗している時期に、既存の自民の政党利権を一部でも切り離す行革へ踏み出したというのは、橋龍はきっととても力 のある政治家だったんだと思う。その時期だったら、霞ヶ関に対し、すぐ辞められてしまう方々より、やっぱり私ら自民の方が安心でしょうってふつう再び蜜月になると思う。そんなことないんかな。わからん!

って、ほんとに素人な私なので「な〜にをトンチンカンなことを」と言われてしまったら、きっとえらい人に修正してもらおうってことで、一筆書きで、推敲なしで、書くのでお許しを。あ、というか、このへんの議論は、政経な寺井さんのがずっと詳しいよね。

てな具合で、「新しい公共」は確かに民主党が掲げた政策のひとつの呼称です。ただ、中身は自民時代からのそれも、内閣府の設置等、執務部門の強化を提言した第一 次臨調時代までこの起源を遡れば、1962年からの内閣機能の強化、行政改革、民営化の流れに沿った改革のひとつであるということだと思う。

だから民主が掲げた「新しい公共」とは、決して若いぽっとでの、おにいちゃんとおねえちゃんが「社会を変えよう」って叫んだら、なんか時の政権が振 り向いてくれはったわ〜みたいな盛り上がり!が最初ではない。もう、先達がドロドロの中をドロドロにもドロドロに頑張ったり、頑張りきれなかったりして、 つくってくれてた蓄積(とびばこ)のようなものです。

霞ヶ関の省庁再編、「新しい公共」がある内閣府も、官邸主導よろしくも、各省の大臣の政治リーダーシップを支えるための副大臣、政務官導入も、行政 の企画立案と実施を切り離すエイジェンシー化(実施は独立行政法人へ)やNPM論も、民営化も、規制緩和の流れも実態はどうあれ、全部、(中曽根)、橋本、(小泉)改革の賜物であ り、改革のとびばこの一段。

とはいっても、何も変わってねえじゃんとか、そもそも官僚もダメ、政治家もダメ、大臣もダメ、あーみんなダメって私らはなんか何も変えてないくせに一丁前に文句だけなんかタレてみたりする、そんな傾向があるかと思います。

でも、橋龍はね、そんな私らの4億倍くらいダメだと感じたんだと思う。「新しい公共バンザーイ」みたいな、甘っちょろい、ぽっとでのひよっこが「社 会変えますわ」みたいに言ってるのとは180度違った舞台で、自分の政治家としての限られた期間で、とびばこを一段積むために、本気で社会を動かす技を汚いとこも知り尽くして、死ぬほど働いて、死ぬほど闘って、孤独だったと思います。

もちろんその改革は当然、半ばで、このHPに乗ってた経団連での講演でも橋龍は「あー、できへんかった、くやしい、くやしいーあー改革半ばだ」っていう悔しさが出ています。 だから、私らはその橋龍が積んだとびばこの一段上のとびばこをどうやったら積めるのかを考えないといけないと思います。新しくないのに「新しい」とPRす るのではなく。

まあ、橋龍のこの講演の想いを表すなら、例えばねえ、剣道だったら、3分間で勝負がつかなくて、延長になって、延長何回くらいでしょう、技としては 「逆胴」で負けたみたいな悔しさだと想う。いや、「抜き面」かな。意味わからなく、往復書簡?対談を閉じて申し訳ないですが、橋龍は本当にやったから、本当にやり残したことだらけで、天国でも時々、思い出しては本当にかっかしてると想うんです。

私らはそのかっかを知らずにね、「新しい」とか言っちゃあよくありません。そんな議論は不毛、「新しい」は幻想。「新しく」ないから。みんなとびばこを一段一段重ねてるんだよ。

午後に売ってる豆腐をね、新商品ってラベルつけちゃったみたいな話はやめて、(もっと高い段をとびたくなってしまうようなドキドキする)とびばこをもう一段私らが積むために、ぽっとでのにいやん&ねえやんが何が出来るのか、だ。

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コメント1件

  1. いやーいいね!!本当にいい!

  2. ピンバック: 「新しい公共」をめぐる不毛と希望8(最終回前半)/西本→寺井 « テライマンZINE

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